笠岡⇒真鍋島⇒佐柳島⇒多度津

瀬戸内海を縦断し、本州と四国を結ぶ本四連絡航路。全盛期には瀬戸内海の各所で見られるものであったが、本四連絡
橋の開通や燃油価格の高騰、更には需要の減少等により多くが廃止されている。

そんな中、本航路のように乗り継ぎではあるが本四連絡が可能な航路が存在している。幻、というには少々大げさであるが、
本航路は土曜日のみ本四連絡が可能という、特殊な運航形態を取っている。
これが西村京太郎先生のトラベルミステリーであればアリバイ成立のためのトリックとして使われるかもしれないが、そこは
笠岡諸島にゆかりのある横溝正史先生に敬意を表し、六島経由便で本四連絡を目指すことにした。

十津川省三や金田一耕助が現実に存在していれば、犯人が本航路を使用して作り出したアリバイをどのように崩していった
のであろうか…そう考えながら乗船する面白さがある。


平成24年1月、笠岡から六島、真鍋島、佐柳島を経由して多度津へ渡った際のログデータ。多度津へはその昔、小学校の
修学旅行で「しゃるまん」に乗船して上陸したことがある筈だが、記憶に残っていない。


1隻目:「ニューおおとり」(三洋汽船;笠岡⇒真鍋島本浦)

笠岡から最初の目的地である真鍋島へは三洋汽船の2航路が存在するが、このうち六島経由便に就航しているのが「ニュ
ーおおとり」である。
「ニューおおとり」で三洋汽船?と疑問に思った人はなかなか鋭いが、笠岡諸島航路の航路再編により平成23年10月に笠
岡・真鍋島⇔六島を運航していた六島航路より航路譲渡を受けたものである。
六島航路が運航していた頃は真鍋島止まりの便が多く、曜日によっては三洋汽船で真鍋島へ出て乗り継ぐ必要があったの
だが、豊浦汽船の笠岡⇔飛島航路を取り込むことで毎日運航となり、逆に真鍋島便が1往復/日に減少している。
尚、本船は平成12年に瀬戸内クラフトで建造されたものであるが、寄港地が増えた結果貨物スペースに余裕がなくなってい
るように感じられる。平成23年度の鉄道・運輸施設整備支援機構共有船建造決定リストに三洋汽船の19総tクラフトがノミネ
ートされていることから考えると、新船建造の暁には本船が配置転換となる可能性も否定できない。

 
笠岡港で出港を待つ、「ニューおおとり」(平成24年1月)。六島航路時代と何ら変わらない姿で運航されている。
尚、本船の就航する六島は横溝正史先生の「獄門島」のモデルとされ、冬になると水仙が島を覆うことでも知られている。

 
「ニューおおとり」後部デッキから見た笠岡湾内。湾内は水路のようになっており、出港後暫くは干拓地を見ながらの航海
となる。尚、写真に小さく「新門司8号」が写りこんでいるが、走島のゴミ収集業務がなくなった現在、本船の行方にも注目
が集まっている。

 
「ニューおおとり」後部デッキ上の貨物。笠岡を出るときは山ほど積載されていた手荷物も、高島を経由して飛島に着く頃
にはこれだけになっていた。


 
真鍋島本浦港の待機桟橋で休息を取る「ニューおおとり」と出港していく「せと」。「せと」も昭和57年に瀬戸内クラフトで建
造されたクラフトである。減トン化の教科書として本サイトでもお世話になっている「せと」であるが、あえて取り外した後部
客室の仕切りを再設置するなど、今でも"魔改造"が着々と進行中である。



2隻目:「ぷりんす」(三洋汽船;真鍋島岩坪⇒佐柳島)

真鍋島の本浦から岩坪までは歩いて10分程、そこに乗り継ぐ「ぷりんす」は停泊していた。
この、真鍋島岩坪⇒佐柳島間の約20分の航路が、土曜日のみの運航となっている。
尚、真鍋島が岡山県、佐柳島が香川県と行政区域が分かれているが、岩坪港近くにあるの雑貨店のお婆ちゃんの話では
昔は両島間の人の往来も多く、便数も多かったらしい。
本船は三洋汽船が共有船として平成9年に神原海洋開発(現、ツネイシクラフト&ファシリティーズ)で建造されたものであ
るが、前述の「せと」と同じく魔改造が施されており、後部の貨物室兼開放客室であった部分へ強引に壁を設置している。

 
岩坪港着岸中の、「ぷりんす」(平成24年1月)。本船はツネイシ製クラフトとしては珍しく(←失礼!)無難なデザインのクラ
フトであるが、それでも、「ニューおおとり」や「ホワイトスター2」と比較すると無骨である。

 
「ぷりんす」船内。「第三かまがり」にもあった、行先表示の電光掲示板がある。尚、神原海洋開発の建造銘板にある「天」
の字はグループ企業である神原汽船が「天社丸(てんしゃまる)」を運航していたことに因んでいる。



「ぷりんす」船内で購入したの切符(船内補充券)。平成24年もまだ7日しか経っていないのにNo.6であった。
船内で切符を購入することが出来る航路は多いが、発着地が多い三洋汽船ならではの切符だと思う。


 
佐柳島から出港していく「ぷりんす」と入港してきた「新なぎさ」。多度津方面から乗り継ぎするには、土曜日のこの便が唯
一無二である。



3隻目:「新なぎさ」(三洋汽船;佐柳島⇒多度津)

「ぷりんす」を降りた後、佐柳島で暫し時間を潰した後、入港してきた「新なぎさ」にて多度津へ向かう。
本船は平成8年に尾道の神原造船で建造されたフェリーであるが、小さいながらもサイドランプを持っているなど、特徴の
あるフェリーである。また、香川県の多度津⇔高見島⇔佐柳島航路に貼り付けであるにも関わらず船籍港は笠岡となって
いる。
尚、上に紹介した「ニューおおとり」(瀬戸内クラフト)、「ぷりんす」(神原海洋開発)、そしてこの「新なぎさ」(神原造船)と、それ
ぞれ造船所は違うものの尾道で生まれた旅客船である。

 
佐柳島の堤防で撮影した「新なぎさ」(平成24年1月)。全体的に寸詰まりの印象のある本船であるが、本船の全長27.15m
は三洋汽船の「くれいるさんよう」(全長:24.71m)と3m弱しか違わない。

 
佐柳島を出港する「新なぎさ」と「ぷりんす」。本船が船籍港である笠岡に顔を出すことは今後もありえないと思われる。
ちなみに本船にはこの折り返し便に乗船したのであり、決して乗り遅れた訳ではない。

 
多度津港での「新なぎさ」。この時はオレンジフェリーに乗船する為に新居浜へ移動する必要があり、あまりじっくりと観察
する時間がなかったのだが、左岸側に寄せられたファンネル等、じっくり見ると本当に面白いフェリーである。


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