萩港(山口県萩市)

山口県の北部に位置する萩市。古くは城下町として栄え江戸時代末期には維新の志士を数多く輩出したこの地にも、クラ
フトの就航する航路と港が存在している。

萩市の沖合には萩六島と呼ばれる島々が点在しており、この中で有人島である大島、相島、見島の3島へ向けて萩海運の
連絡船が就航している。そのうち、一番遠い見島への連絡船については三菱下関製の大型クラフトが就航している。

この萩海運の航路の特筆すべき点としては、見島航路のクラフトがドック入りした際に他の2島の連絡船が代船を努めると
同時に山口県内ではあるが瀬戸内海側の防府(三田尻)を拠点とする野島海運から傭船を行い、航路を維持しているという
点である。

萩と防府。一見すると繋がりが判り辛い両地域であるが、江戸時代には『萩往還』と呼ばれる陰陽連絡道で結ばれており、
幕末には、多くの志士が維新の志を抱いて萩から陸路で防府・三田尻を目指し、海路で京都、江戸へと上っていったという
歴史的な繋がりが存在している。

萩港を訪れる際は、遥か幕末より続いている両地域の繋がりについて想いを馳せてみると面白いかと思う。


平成23年12月に防府、萩を訪れた際のGPSログ。青春18切符を使用し1日目は新山口⇒防府⇒下関、2日目は下関⇒萩
⇒益田⇒山口宇部空港と廻った。尚、小野田から下関まで"海上移動"したことになっているが、これはGPSロガーのエラ
ーであり、実際には山陽本線上を移動している。


防府・三田尻の自転車屋前にあった萩往還の碑。近年、萩往還の存在が見直されてきており、街道沿いの整備や碑の設
置等が進められている。尚、自転車屋のガラスに描かれている海賊王とその仲間たちは気にしないで欲しい。


「おにようず」(萩海運)

萩から一番遠い見島へ就航しているのがこの「おにようず」である。平成10年に就航したクラフトであり、建造は三菱下関
である。
本船就航までは下に紹介してある「たちばな2」が見島航路に就航していたが、クラフト化によって航路の所要時間が短縮
されている。
また、本船の特徴としてはフォークリフトを利用して荷役が行えるよう船体後部に貨物室を備えていることが挙げられる。
これは島の特産である見島牛を出荷する際にも重宝しているものと思われる。


萩港で出港を待つ「おにようず」(平成23年12月)。本船は耐航性を高めるため、上部甲板の位置が高く設計されている。
尚、本船の船名の由来となった「鬼楊子」とは、見島に古くから伝わる伝統の凧の事であり、長男が生まれた際に揚げられ
るものである。


同じく、萩港の「おにようず」。船体後部の貨物室にフォークリフトで荷物を積載中である。本船の全長は約46mあり、船型
の違いはあるものの瀬戸内海でお馴染みだった石崎汽船「シーマックス」の39mより長い。


萩港を出港していく「おにようず」。この日は波が高くうねりがあったため、本船は出港後間もなく波に揉まれていた。
この海象の中、日々安全に船を走らせるのはかなり大変ではないかと思われる。


「たちばな2」(萩海運)

「おにようず」就航以前、萩⇔見島航路に就航していたのがこの「たちばな2」である。本船は昭和61年に三菱下関で建造さ
れた船首楼付貨客船であり、デリックを備え付けている。また、船体は鋼製であるが上部構造は軽合金製である点も本船
の特徴である。本船は現在、漁業とブロッコリーの栽培が盛んな大島と萩を結ぶ航路に就航している。
尚、本船は老朽化のため平成25年4月の就航に向けて新造船建造が検討されており、萩市のホームページにも記載され
ている。そのため、残された活躍期間はあと1年余りと思われる。


萩港に入港してくる「たちばな2」(平成23年12月)。本船はデリックを備えた貨客船ということもあり、個人的には大きさは違
うものの神新汽船汽船の「あぜりあ丸」に似た印象を持っている。尚、「あぜりあ丸」も三菱下関製で昭和63年に就航して
いるため、ほぼ同時期に誕生したことになる。


同じく、萩港入港中の「たちばな2」。本船および後述する「つばき2」については、"2"が申し訳なさそうなサイズで付けられ
ている。尚、ブリッジ下方の行先表示板は何故か「見島⇔萩」となっている。


萩港着岸中の「たちばな2」。デリックを使い軽トラックを荷降ろし中である。
本船および「つばき2」の荷役方式を見ると、「おにようず」のRORO方式の効率の良さが良く判る。


「つばき2」(萩海運)

萩海運の3航路のうち、相島航路に就航しているのがこの「つばき2」である。本船は平成2年に三菱下関で就航しており、
萩海運の所有船3隻の中で本船が一番小さいものの、見島航路の「おにようず」ドック時には本船が萩⇔見島間に1往復
就航する等、スーパーサブ的な活躍をする船である。
尚、本船の就航する相島はスイカやサツマイモの栽培等、農業で知られているが、その昔は萩藩の海上防衛の要衝とし
て栄えていたという歴史を持っている。


萩港へと入港してくる「つばき2」(平成23年12月)。ブリッジ横に描かれた椿の絵が良いアクセントとなっている。


萩港着岸中の「つばき2」。先に「たちばな2」を「あぜりあ丸」に例えたが、そうなると本船は伊豆諸島開発の「ゆり丸」に例え
たくなる。いかにも離島航路らしいデザインの貨客船である。



萩港で出港を待つ「つばき2」と「たちばな2」。天気が良ければ青い空とクリーム色の船体のコントラストが映えることと思う
が、やはり冬の日本海は悲しい色に見えてしまう。

番外編:「のしま」(野島海運)

萩海運は3航路に3隻の連絡船を配船しているが、予備船を保有していないためドック時には他社から船舶を借りてきてい
る。そのスーパーサブ的役割を果たしているのが本船、「のしま」である。
本船は元々、野島海運の三田尻⇔野島航路船として昭和59年に尾道の木曽造船で誕生している。「おにようず」のドック時
には、「たちばな2」、「つばき2」が各々1往復づつ見島航路に就航するため、その間の大島・相島航路を1隻で引き受けると
いう変則ダイヤで活躍している。
尚、平成24年1月現在、諸般の事情で三田尻⇔野島航路へ本船が張り付きとなっているため、今年のドック時には野島海
運、萩海運がどのようにして就航船をやりくりするのか、興味は尽きない。


防府駅から三田尻港まで歩き、出港を見届けた「のしま」(平成23年12月)。パッと見た感じ、瀬戸内海の伝統的な連絡船
のスタイルを踏襲している1隻である。


同じく、三田尻港を出港していく「のしま」。本船のブリッジ周りをこの角度から見ると、「第五はぶ丸」に似ていると感じるの
は私だけではないと思う。ブリッジ後部に客室のあるスタイルの客船も、今となっては非常に珍しい。


野島へと向かう「のしま」。本船は野島海運で予備船となっていたため遥か日本海側の萩海運まで"出稼ぎ"に行く事が出
来たが、ひょんな事から本務船として"復帰"せざるを得なくなってしまったため、今後の予備船事情がどのようになるか、
非常に気になっている。



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