三原観光汽船メモリアル

瀬戸内海の芸予地域、その中間に浮かぶ生口島は古くから交通の要衝として栄えており、橋で本土と陸続きになる以前
には島の玄関口である瀬戸田港は"海の銀座"として知られていた。
また"西の日光"として知られる耕三寺等の名所により多くの観光客が船でこの地に訪れており、多くの船会社が本土や
四国と生口島の間に航路を開設していた。

三原観光汽船もそのような会社の1社であり、主に三原港と瀬戸田港を結ぶ航路を運営していた。また、バブル期には多
くの船会社がそうであったように積極的な船隊拡充を行い、貸切専用船まで所有していた。

そんな地元の雄であった三原観光汽船であるが、しまなみ海道開通以降の乗客の減少や燃料価格の高騰等により平成
21年11月末を持って廃業してしまった。

小さい頃から三原観光汽船を見て育った私にとって非常にショッキングな出来事ではあったが、メモリアルページを作成す
る事で、船趣味を始めてから今までに撮影してきた三原観光汽船の所有船、および元、三原観光汽船の所有船にスポット
を当て、消えてしまった三原観光汽船を振り返ってみたい。


三原観光汽船の「しまなみ」と「マリンエース」。両船とも引退、売船されてしまいこのような光景は二度と見ることのできな
いものとなってしまった。



さようなら、「るり丸」、「はり丸」

航路のエース、「マリンエース」

走れ、「ホワイトドルフィン」

大名跡の後継者、「第十二西日光」

「マリンエース」のその後…

古豪健在!、「第二フェリー美咲」

「しまなみ」、驚きの塗装変更

したたかに生き残る、「シーホーク」

ありがとう、「第二フェリー美咲」

「ホワイトドルフィン」、また逢う日まで

時代に翻弄された高速艇(クラフト)、その名は「しゃるまん」

一年を二十日(はつか)で暮らす高速艇(クラフト)、「第六かしま」

須波航路を継ぎし者、「やっさもっさ」

惜別!「しゃるまん」(延長戦)

復活!「しゃるまん」(転身編)

「ひかり」、幸運な再就職

【番外編】「オリーブマリン」がやって来た



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